能登の未来
FUTURE
投稿者
三根千晶
100年後も能登の海がずっと残っていたらいいなぁ。きらきらした波の下でたくさんの命が育まれ、申し訳ないと思いもしますが、舌鼓を打つ頃には忘れちゃう。はちめやサザエ。牡蠣やイカやサヨリ、ブリ。甲箱がにー!美味しい海の幸をいただく。能登の海産物、ずっとあったらいいなぁ。帰省するたび、美味しい海の幸をありがたく食べてます。ほんとめっちゃ美味しい!
私は七尾で生まれ、高校卒業までの18年間ずーっといました。その後、進学のため関西へ。そのまま就職し、結婚。七尾を後にしてからはずっと関西で過ごしてます。結婚した地は奈良県。海無し県です。
故郷を離れて思うのは、波が綺麗な海が大好きだなぁということ。奈良に海が無いからって言うわけではなくて、大阪にも住みましたが、能登の海が大好きです。寄せては返すその様をずっと眺めて。砂浜でも。港でも。テトラポッドでも。きらきらした波が返ってくる。帰ってくる。それがずっと残っていたらなんかいいなぁ。それを眺めることができる時間も。自分は死んでてもその子や孫。七尾に暮らし続ける人もそうでなくても。未来のたくさんの人が能登の海を見て「綺麗やな」って思ったらなんか嬉しい。私もそう思っとったよ!っていう思いが残って、海が残ってたらいいなあ。一番身近な海は鵜浦海水浴場。小学生の頃、水泳苦手で水泳記録大会もどうにかして休みたかったー!…でも浮き輪でのーんびりたゆたいながらぼーっと浮かぶ時間が大好きでした。陽の光を受けて波がきらきらしてるのを眺めながら、指がふやけるまで。ただただ海の青と空の青ときらきらした波と遊んでただけの至福の時間。最高でした。
2023年8月に両親と一緒に久しぶりに鵜浦から鹿渡島観音崎へ。海水浴場は残ってたけど砂浜が減っててテトラポッドが目につく、前とは違った風景。でも帰ってくるきらきらした波はそのまま。友達も変わらずに。
故郷の風景は変わらずに在って欲しいけど、自分のエゴかもしれません。でもそれが残るために自分には何ができるんだろう、何をしたら残せるんだろうと、考えます。綺麗で命も育む海。
100年後に能登が能登であるために、今自分ができることはなんやろう。もっと帰省して石川で七尾でお金を使うこともできるかな。めっちゃ少ないけれど。能登にたくさん帰って七尾の海を眺める時間をたくさん持ちたい。また帰ろう。七尾で暮らしている家族や友人に会って元気をもらいながら、元気を渡したいです!