能登の未来
FUTURE
投稿者
岩城雪
私にとって自然とは、とてつもなく恐ろしく、そしてすべての美しさの象徴です。それに対する畏怖と尊敬の念から、科学を学び、その追求を職業に選びました。しかし、続けるほど、人間が自然に戦いを挑むことの無意味さを痛感するばかりです。
能登半島地震は、「多少」どころか、大地の形を変えてしまうほどの変化をもたらしました。地震が起こったとき、ああやっぱり、ここでは自然になんて勝てるわけがないのだ、と妙に静かな感情で受け止めた自分がいました。
能登に出会い、雄大な自然に集落が溶け込んだ美しさ、自然と共生する人の営みを目の当たりにし、何かが心にストンとおさまりました。能登の皆さんは、他所から突然やって来た私たちを、不思議がりながらも、気持ちよく受け入れてくださいました。大いなる自然の中に暮らす人々は、多少の変化に動じることなく、しなやかに自分を寄り添わせていくのです。
私の住む珠洲には多様な人が共存していました。境遇の異なる人々が、それぞれ自由に生きているのに、ひとつの共同体ができている、そんな場面に何度も遭遇しました。そこに共通するものは、皆がこの土地を愛し大切にしているということでした。
私には、能登での人の営みが、根元的なものであると同時に、未来的な形に見えました。
私にとって100年後の能登は、今から100年間の自然の営みの結果に過ぎません。人間がどうあがこうとも、地球の主役は地球なのです。特に、能登のような場所では。
能登の人々は、自然の中に美しく暮らしてきました。地球の息吹に寄り添い、自然の恵みを享受しながらも、その恒久の営みを傷つけないバランスを確立していました。サステナビリティなどという言葉を持ち出すまでもなく、能登では当たり前のこととして持続的な暮らしが実現していました。
今が能登の人々が教えてくれた生き方を実践するときだと、自分に言い聞かせています。
自然に抗わず、その懐に間借りをし、したたかに人間の営みを育んでいく。そうやって、能登の人々は、これまでも生きてきたのです。むしろ、能登では、そうすることでしか、人間が生き抜くことはできなかったのではないか。そのような生き方を是とする人しか、能登を愛することはできなかったのではないか。
それはこれからも変わらないし、能登の本質はそこにあると、私は思っています。
これから能登の人口は大きく変わり、そして長い変遷期を辿るでしょう。人間にとっての安定期が来るまでには、もしかしたら100年くらいかかるのかもしれません。それでも能登を愛する人々は、自然に翻弄されながら、そのときどきにあわせて形を変え、力を合わせて何とかやっていくのだと思います。
100年後の能登は、人間がどうあろうとも関係なく、美しいことでしょう。そして、その中で、能登を愛する人々がどのように生きているのか。楽しみです。