能登の未来
FUTURE
投稿者
長坂慎太郎
生まれも育ちも仕事も住まいも金沢にある私の、珠洲との関わりのスタートは24歳の時に珠洲市・飯田町出身の妻と結婚したことです。誰でも飛び込み参加できる「飯田町燈籠山祭り(いいだまちとろやままつり)」に機会があれば参加し、この25年間で友人知人ができました。おかげで、珠洲でも一人でお酒を飲みに行けます(笑)。
そんな私が考える「能登の未来」で大切にしたいのは、ここならではのおおらかなコミュニティと、いい意味で雑多な街並みを維持していくことです。
珠洲は昔から、外から来る人たちにもすごくおおらかな土地柄なんですよね。それを強く感じたのが、たしか2回目に参加した飯田町燈籠山祭りの時でした。「金沢百万石祭り」は参加者と観客が分かれていて、飛び入り参加などもっての外です。でも、飯田町燈籠山祭りは誰でもウェルカム。初参加の私も山車をひき、さらに翌日の地域の打ち上げにも呼んでもらい「年に数回しかここに来ない自分も、受け入れてもらえた」と感じました。また、来るたびに驚くのですが、ここでは子どもたちから自然に「おはようございます」「こんにちは」と声掛けしてきます。知らないおっさんにですよ。地元のおじいちゃん、おばあちゃんも気軽に話しかけてきます。最近、金沢にある二次避難者向けの交流スペースに珠洲出身者が7人来ていた時も、オープンな土地柄を感じました。28歳から70歳まで多世代が集まったのですが、ほぼ初対面同士なのに親戚のように世代を問わずワイワイ話していて感動しました。これが珠洲のすごいところです。
そんなコミュニティの良さを建物から感じられる、いい意味で雑多な街並みも残していきたいです。飯田町の出身者には「こんな古くさい街並みのどこがいいの?」と聞かれますが、魚屋や八百屋が残る、観光地化されていない街並みは本当にかっこいいと感じています。私の地元である金沢でも、県外から来た友人知人には「観光地ではなく、昔ながらの街並みを案内してほしい」とリクエストされることが多いです。おおらかな地元の人たちの営む店が軒を連ねる、古き良き街並み。それこそが珠洲の宝になるのではないでしょうか。
今後について、私自身は将来にぜひ飯田町にも帰れる家を建てたいと思っています。また、二次避難中の義父母や親戚が大切にしてきた飯田町の地元コミュニティの復活、継続の手伝いをしたいです。金沢で関わっている二次避難支援「チームスクエア」の活動にも、解散まで関わっていくつもりです。
一日でも早くみんなで珠洲に集まり、笑い合える日が来ることを心の底から願っています。