能登の未来
FUTURE
投稿者
干場龍一
珠洲市正院町で生まれ育った。現在も自宅は正院町にあり、会社の社屋は能登町にある。
能登の未来・100年後にのこしたいもの。
能登の里山・里海・人の営み・生業・お祭りがのこればと思うが、人がいなければ全く不可能なこと。今の中・高校生が就職や進学で一旦市外に出ると思う。そこで、色々なことを吸収し、色々な思いを感じ取り、ノウハウを持って能登に帰ってきて欲しい。その子たちが「これから新しい能登を作ろう!こういう風にしたい!」と言う思いで作られた能登が100年後に残り続けるといいなと思う。ただ、子供たちには強制はできない。
能登はお祭り!お祭り!お祭り!とお酒の文化なので、その文化ものこしたい。今でも、「9月だな、祭りだな、じゃ能登に帰ろうか」となるそうだ。祭りはこの先も続けたい。そのときは、能登の街に人がいて色んなことをやっていく必要がある。だが、人が残っていくことが難しい。今のまま能登が残って欲しいが、現実と比べると・・・12月31日までのあの風景はまず戻らない。非常に歯痒いが、どうしようもできないので、受け入れないといけない。今後の街を作っていく上で、コンパクトシティになるかもしれない。それにより、お祭りの規模や、お祭りの合体もあるかもしれないが、やはり町ごとにキリコの装飾や祭りの形が全然違うの為、合体はしたくない。私の地区では、神輿やキリコを担いで、神社の階段を上がるので、担ぎ手の人数が必要だ。最近、近所の人に「今年は祭りやるぞ」と言っている。批判受けても良いやない、これが生活してる証。高校生の娘は今が血気盛んな時期、「今年祭りをやらなければ一生出来ないからやりたい」と言っている。
地域の営みや生業は少しでもそのままのこしたい。今、住んでいる集落は30件弱だが、高齢化が進み10年後には10件程になる。だが、その中でも「通常通り生きているよ」という風景をのこしたい。例えば、隣近所で「大根が沢山取れたし持っていって」、「ねぇねぇ、これ作りすぎたしどう?」とか、周囲やお母さんはそのようにして、この土地で生活してきた。仕事中にふと思うことが、それは新しくダムを作ったことにより集落が全部移動したとか、ダム湖の中に消えたこういう集落があったようだ・・・、昔能登の先端に珠洲市という自治体があったそうだ・・、と消えた街になるのではないか。けれども、それも受け入れなければと思う。
もう一つのこしたいものは「黒瓦の漆喰の昔の家」。今回の地震で残った昔の家は集落にある。今回の地震で、瓦の家が倒壊したとか、重たい瓦があるから揺れたと言う情報も一部流れているが、私の考えは、あの重たい瓦を載せるが故に、家の梁や材料、大工さん腕の見せ所だった。豪雪地域のため、そのような自然環境のなか、重量にも耐える必要があった。去年の地震では家は保っていたが、度重なる地震で柱や梁にヒビがはいり、一気に壊れたのだろう。もしも、都会の家のような軽くて、細い柱の家だったならば、もっと早くに潰れていと思う。太い柱、重い瓦があったから家はここまで保ったと伝えたい。なので、昔の人の知識や知恵が詰まった、「昔の家ながらの民家・里山里海の集落や風景」をのこしたい。
私は出会う人にこう伝える、今がチャンスであり、能登の国の元年だ!オオクニヌシノミコトだ!新しい国づくりのスタートに携われることは素晴らしいことで、この環境を楽しもう。