能登の未来
FUTURE
投稿者
南宰
①能登半島は日本の中心!100年後能登半島が日本の玄関!
「逆さ日本地図」が僕の頭に浮かんでいます
能登半島は日本の中心で、ユーラシア大陸から日本への玄関だと思うんです
能登の大自然、海、山を世界に発信したい。
100年後、能登空港と七尾港、二つの玄関に日本、世界の人が集う場所になっている!
②福島県大熊町の「応援人口」と僕はなっています
僕はこの一年、福島県へ5回行っています。そう、福島は2011年東日本大震災があった場所です
特に「大熊町」では、「大熊夏祭り」に参加し懐かしの給食「ピタパン」を再現して販売
「エクストリーム大熊」復興企画では全国の高校生大学生が「大熊発のアイディア」を発案、実行
13年たった今、大熊町は「元の大熊」に戻ってはいません
でも、「新しい大熊」が生まれています
2023年、学び舎 ゆめの森が開校しました!
0~15歳の子どもたちがともに遊び、学び、さらに地域の方々とも協働していく学び舎です
多様性に満ちた社会において、子どもたちが自分で考え、人と協力して生きていく力を育むことを目指しています
ゼロからのまちづくりが進む大熊だからできる教育を実現していきます
(学び舎 ゆめの森 HPより)
①+②=③だけではもったいない→∞ 無限大
能登半島に世界の人が集い!子どもたちがのびのび育つ!
ナンバーワンでなくっても、オンリーワンでもなくって、サムシングワン!
能登には「なにか」(サムシング)があると思うんです
僕は小さい頃、和倉温泉に泊まり、カキを食べ、能登空港で飛行機に乗り…
空と海と温泉と…美味しい食べ物…などなど僕の能登の思い出です
③100年後は「空飛ぶクルマ」が実用化しているので物理的な距離のハンデはなくなる
能登の自然と美味しいモノを求めて、外国人が多く訪れ、国際的な都市に
日本の能登半島は東南アジアのシンガポールのようになっている!
能登に住んでいる方からすると「弱い思い」だと自分では思います
しかし、この能登地震で僕は多くの人と繋がることができました
社長さん、能登の料理人さん、政治家のかた、新聞記者さん、大学生のボランティアの方、輪島中の3年生、珠洲の小学生、輪島のおばあちゃん、県外のボランティアの方、我が家に住んで良いよ!っていう同じ志の方…
何人もの方と新しい出会いをしています
それがこれからも繋がって100年後の能登には世界の老若男女が集っている!のです
(「復興=元に戻る」以上の「新しい能登」をイメージして百年後書かせてもらいました。)