能登の未来
FUTURE
オフグリッドという選択
投稿者
山下涼子
私が生まれ育ったのは、珠洲市の三崎町。珠洲市には、誇るべき実績がある。それは市民運動により、原子力発電所の設置を断念させたことだ。
運動は、私が物心ついた頃からすでにあった。選挙の争点は常に原発の是非。電力会社からは”視察”という名の豪華な無料ツアーが何度も行われ、建設予定地では盗聴や投石などの嫌がらせ、反原発派だった両親は市役所職員の友人との関係が壊れた。当時子どもだった私でも、その強引さ、不自然な金に違和感を覚え、人間関係をおかしくする大人たちの対立に心を痛めた。だからこそ2003年、珠洲原発白紙撤回のニュースを聞いた時の喜びは忘れない。
そんな故郷で起こった地震で、実感したのは「自給自足」の強みだ。発災直後、実家の近所の人たちは、指定避難所ではなく地域の集会所に集まったそうだ。祭りのキリコで使う発電機を動かし、古い井戸から水を汲みげ、食料や布団を持ち寄った。トイレは畑を掘って処理した。まさに自給自足。発災直後の混乱を、彼らはたくましく、自分たちの力を持ち寄って乗り切っていた。
電気は10日間も回復しなかった。水は一ヶ月以上が経過した今も通っていない。大規模なインフラの断絶は、簡単には回復できないことを知った私たちは、この地に再び暮らすことができるのか。答えは集会所の人たちが行なった究極の自給自足にある。食料だけでなく、電気や上下水道まで自らまかなう「オフグリッド」だ。グリッド(電力網)からオフ(離脱)する生活。太陽光や風力、水素など環境負荷の少ない方法で電気をまかなうそれは、原発にノーを突き付けた珠洲市に、最もふさわしい選択ではないか。
さらに、今回の地震で盛んに言われた、地理的な特徴からの”孤立”。これは、まさにオフグリッド状態そのものだろう。ということは、電力会社や上下水道に頼らないオフグリッドな家、まちづくりが確立されれば、元の能登らしい街並みが再生・維持できるかもしれない。復興に際しよく持ち出される「コンパクトシティ」という選択は合理的ではあるが、どこも似たような街並みになり、その地特有の魅力が失われてしまう。むせ返るような緑をくぐり抜け、キラキラと光る青い海を見下ろし走る海岸線。点在する小さなカフェやアートスポットを巡り、半島をぐるりとドライブした夏。その美しい風景を私は、失いたくない。
インスタントハウスや3Dプリンタ住宅など、さまざまなスタートアップ企業で実証実験が行われ、世界が注目するオフグリッド。彼らと協力して、市全体で取り組んでみてはどうか。危ぶまれている人口減少も、例えば環境コンシャスな若者たちにとってオフグリッドは新たな価値となり、移住促進につながるだろう。地球に強制的に更地にされてしまったからこそ、百年後の珠洲市は、地球に優しい最先端の田舎になることができる。