能登の未来

FUTURE

私を強くしてくれた能登

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投稿者

マツヤアリサ

33年前、石川県珠洲市三崎町出身の父と母のもとに、私は産まれました。
両親は10代で能登を離れ、右も左も分からない横浜で私たち三兄妹を大事に育ててくれました。

私が子供の頃は、夏休みや正月に家族で帰省して、能登のごちそうや雪遊びを楽しんだものです。
大人になると、能登ならではの情緒や文化にも惹かれ、能登で過ごす時間は心は穏やかに、そして魂は火がついたように活力に溢れるのでした。

「故郷に帰ると心が16歳になるのよね。」とキラキラした表情で話す両親を見て、
いつしか能登に住んでみたいと思うのは必然でした。

ー100年後の能登ー

めまぐるしいスピードで時代が変わる中、不思議と能登ではゆっくり時間が流れていく。
廃れていくショッピングモールのゲームコーナーに集う学生の姿、玄関先で談笑しているお年寄りの方達。どうかこの光景はいつまでもあってほしいと願う一方、少子高齢化問題が課題とされている。

この日常の連続には、今ある古き良きものを次世代にバトンパスしていく必要がある。
壊すのではなく、新しいエッセンスを加えることで、能登の伝統や文化がアップデートされていく。

江戸時代から続くキリコ祭りもそうだ。
町内全体が盛り上がる伝統的な祭礼のために、都会に出た子どもや孫、友人も連れてかえってきて、
温かい人たちが暮らすあの街に住みたい、帰りたいと思う場所になってほしい。
そのキッカケとなるような心に残る体験や、能登ならではの魅力を全身で感じ、ふらっと旅する人で溢れて欲しい。

ー孫やひ孫に残したい、能登の未来のためにー

そのためには、能登で働くこと、安心した生活ができる選択肢が多様にあること。
都会では体験出来ない、大自然と共存する暮らし。
少し不便な生活もこれからを生きる若者にとって、ちょうどいい未来がやってくるはずだから。
自分軸で生きることを、能登で再出発できる場所に。

今は、パソコンひとつで仕事が出来る時代になっている。
理想を言えば、雇用を産む企業が能登に会社や店舗を構えたり、その場に人が集まる仕組みがあるとより望ましい。
一般の私ができることは、SNSで能登への愛を発信し続けること。
能登の素朴な自然風景も人柄も街並みも、きっとみんなその場所に恋をすると信じている。

野菜を育て、豆腐や調味料だって手作りする祖母からは教わりたいことが山ほどある。
都会で暮らす若者よりも強い生命力を感じるし、戦争があった頃は保存の効くじゃがいもだけを食べていたとか。
令和をたくましく生きる高齢者達に、命を繋いでくれてありがとう。と私たちはご先祖に感謝しなければならない。
自然がもたらす恐怖や、不便で不自由なネガティブな面もひっくるめて、自分の言葉で愛を伝えていきたい。

ー能登らしい能登ー

夏と冬、陰陽の境界線がくっきりとある美しい四季をダイナミックに感じられる。
夏は、塩田村の塩ソフトクリームをお目当てに奥能登絶景海道を走り、海の青さを横目に気分が高揚する。
連日行われる町内の七夕キリコ祭りでは、ぐでんぐでんに酔っぱらいながらもキリコを担ぐ男性や、声を荒らげる地元の女子学生の姿もまぶしい。

能登の冬の風物詩として知られている波の花をみたときは、天候も荒れていて視界は決して良くはなかった。なんて厳しい冬なんだ。と思う半面、花が飛んでくる度にこの冬が終わればまた春がやってくると思わせてくれる、嬉々とした気持ちになった事を覚えています。

そして、何よりもごはんが美味しい。いつだって自分と周りの人を幸せにしてくれるのは、毎日の安心するごはんだから。これに限る。
飯田町のスーパーで買う鰤の刺身や、夏野菜と能登牛のバーベキューもいい。ビールが格段に美味しくなる。
特に、魚は一度味わうと、横浜に帰ってきてからでは物足りなく感じるから辛い。

「能登はやさしや土までも。」そんな言葉の通り、能登の地で育った食材の深い味わい、そして真心こめた料理人のごちそうを、是非召し上がってほしい。

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