能登の未来
FUTURE
投稿者
宝樹恵
2124年1月1日、朱漆塗りの大ぶりの汁椀に、お雑煮を盛り付ける。丸く白いお餅がふたつ、汁の中から顔を覗かせた。いつもはお味噌汁くらいしかよそわれないお椀が、ほんの少し背伸びしているように見えた。
このお椀は百年ほど前、私の曾祖母が作ったものだ。百年も前の器だが、定期的に塗り直し、今でも現役で使っている。
再生可能な資源を使うことが当たり前になった現代では、漆塗りの器はスタンダードな存在だ。塗り直しながら何十年も使えることが評価され、日本のみならず世界の食卓で活躍している。いまや輪島には、日本全国そして世界から注文や塗り直しの依頼が届く。しかしこうして仕事ができるのは曾祖母の代の人たちが塗りの技術を絶やさなかったことが大きい。百年前の震災で被災し、危ぶまれたこの町の漆文化を繋いでくれた。
器を使う度に、小さい頃曾祖母から聞いた話を思い出す。曾祖母は輪島の出身ではなかったが、漆塗りを学ぶために一人でやってきたのだそうだ。その学びの途中、ようやくこの道で食べていく覚悟ができた頃、あの震災に遭った。とても大切な友人を亡くしたという曾祖母は、震災当日輪島におらず、大切な人たちのそばにいられなかったことを最期まで悔やんでいた。
当時まだ修業中の身であった曾祖母には、できることが限られていた。でも学ぶことだけは諦めないことにしたという。それがいつかきっと漆業界、そして輪島のためになると信じることにしたのだそうだ。
「漆塗りの仕事は自然からは決して逃れられないの、だから好き。大切な人たちの命を奪った自然だけれど、この仕事をしていると恨みより感謝の気持ちを持てるようになるのよ。」それが曾祖母の口癖だった。
この朱塗りの器には、これから先の未来へ何十年、何百年も漆塗りの技術を残していきたいという曾祖母の思いが詰まっている気がする。そしてそれを塗り直し、受け継がせてくれた顔も知らない職人さんたちの思いが。
私はお雑煮を飲み干し、そっと手を合わせた。小さな頃からずっと、私にとってお正月は朝におめでとうと言い、夕方には手を合わせる日であった。曾祖母がやっていた習慣にみんなが従っていて、それを疑問にも思わなかったが、ちょうど百年が経った今日、自分がこの町で生きている奇跡に思いを馳せる。
私も伝え継ぐ。輪島の漆芸の素晴らしさ、能登の文化の美しさを。そしてここで生きてきた人たちがいたこと、もっと生きたかった人たちがいたことを。塗り直し続けられるこの器のように、住む人や町の景色が変わっても、この町に生きた人々の思いが、永遠に引き継がれていくように。
私の子孫がこんなことを思う未来を目指して、今日を生きよう。