能登の未来
FUTURE
投稿者
中大貴
私は100年後の能登にはちょっと新しいいつも通りであって欲しいと思っています。なぜなら能登は私にとって地元であり、日本で一番安心感を与えてくれる場所だからです。学校に行く時には「おはよう」、下校してくる時には「おかえり」などと地域のお年寄りが声をかけてくれるいつもの通学路、海に行く時は「きいつけてな」や帰る時には「楽しかったけ?」などの声をかけてくれる休日、なにをしていても優しく温かい声をかけてくれる地域の人たちが私たちの元気の源でした。この元気の源が100年後の能登に産まれる子供たちにも与えられるような地域であって欲しいと思います。新しいと言っても、都会のように工業などが発展するのではなく、住民たちの災害に関する意識などが強まったりした、今の能登よりちょっと新しい能登になってほしいです。
私は今回の地震で叔母を亡くしました。死因は災害関連死でした。叔母の住んでいる町は山の中にあり地震による土砂崩れにより孤立してしまいました。寒かったやろうし、心身ともに疲れ果てていたと思います。そんな中、叔母は亡くなってしまいました。叔母は母親のいない私にとって、もう一人の母親のような存在であり叔母も私のことを我が子のように接してくれていました。私の将来の夢は水族館の職員になることでしたが、周りの大人は良い顔をしてくれませんでした。ですが、犬を飼っていて動物好きな叔母だけは「動物好きやもんね、良い夢やね!」と、背中を押してくれました。私はその応援に応えるために必死にアルバイトでお金をため、そのおかげで動物や魚に関わることができる専門学校に進学する事ができました。
私は2年後専門学校を卒業した後に「のとじま水族館」に勤めたいと思っています。もし2年後までに復旧していなくても、能登に残り水族館の復旧を手伝おうと思っています。「のとじま水族館」のある能登島は七尾市にあるのですが、私は七尾が能登の復興に必要な地域だと思っています。和倉温泉や水族館、美術館などいろいろな魅力があり人を惹きつけるものがたくさんあります。そしてそこへ向かうための道路も多く設備されています。なので七尾市が復旧されれば奥能登の灯火になると思います。ゆえに私は「のとじま水族館」に勤め、能登の復旧を目指す人たちの一員として、生きていきたいと思います。そして、その復興の中で次災害が起きても助かる確率が高まるように、今までより強靭な地域づくりをしていきたいと考えています。そうすればみんなが戻ってきたいと思う街になり、100年後にはまたいつも通りの日常が戻ってきていると思います。