能登の未来
FUTURE
投稿者
山下愛光
名古屋の大学に通い、輪島市出身だと自己紹介をして実際に言われた言葉は「輪島塗のところね」や「海鮮おいしそう」、「昔行ったけど空気が綺麗で人も優しいね」などである。輪島といえばで思いつくことがたくさんあるということに私は誇りを持っている。一方、震災以降挨拶をして言われるのは「大変だったね」、「故郷がなくなってつらいね」といったマイナスな言葉ばかりである。本当に輪島の良さはなくなってしまったのだろうか。私はそうは思わない。100年後も人々がそこで育ったことを誇れるような場所であってほしいと願っている。
私が生まれ育った輪島市が誇れることは、世界遺産の白米千枚田、フグやカニなどの漁業、伝統工芸の輪島塗、朝市、キリコ祭りなどたくさんある。学業や職業のため市外に出たとしても、「魚を食べたいから」、「祭りに参加したいから」と若者たちはみんな帰ってくる。これらの文化や伝統は数十年、数百年の歴史を持つものである。ここ数年の間でも平成19年能登半島地震や新型コロナウイルスの流行、記録的大雪など人々の歩みを妨げる災難を幾度と経験している。そのたびに住民らが協力して守ってきたからこそ、伝統が続いてきたのだろう。いい意味で輪島の人は諦めが悪い。今回の地震でたくさんのものが壊れても、自ら情報を発信することでたくさんの人に助けを乞い、再建しようと立ち上がっている人がいる。その気持ちを失わないことが今は一番大事だと私は思っている。
さて、ここまで輪島の魅力について書いたが、100年後の輪島について考えていく。情報学部生として講義を受け、度々話題に上がるのは「AIに取って代わられるもの」である。AIにできないことは人の気持ちを強く動かすことだと私は考える。AIは過去のデータから何かを作ることや情報を処理することはできるが、全く新しいものを創り出すこと、人の気持ちを汲むことは苦手としている。つまり、人の心を動かす力を持つものはAIに取って代わられることなく、100年経っても変わらないのではないだろうか。農業機械が入れず、人が手入れしてきた白米千枚田は四季折々の景色で人々を魅了してきた。他にも、職人の技術によって創り出された輪島塗の作品、キリコを自らの手で担ぐからこそ熱狂する輪島大祭、売り手のおばちゃんおじちゃんがたくさんおまけをしてくれる朝市、これらはすべて人々の心を動かしてきた。令和6年能登半島地震で失ったものはあまりにも多かったが、輪島の魅力がすべてなくなったわけではない。人の心を動かす技術と伝統は確かに輪島の人々の心に身体に刻まれているはずである。これらが変わらず生き続ける輪島を100年後も見たい。そのために輪島の魅力を知る人々が今こそ動き出さなければならない。