能登の未来
FUTURE
投稿者
冨水萠加
"私が想像する100年後の奥能登は訪れた人に安らぎを与える場所であって欲しいと考える。 今回の令和6年度能登半島地震において1からまちづくりをするにあたって観光業の在り方を考え直すべきだと感じた。小松は工業、加賀は宿泊業、金沢は石川県の中心都市としての機能がある。その中で能登は伝統工業や祭などの文化的面での存在が大きかった。だが、私はこの文化と合わせてもっと活かしていくべき部分があると感じている。それは、自然が多くゆったりとした時間を過ごせるという部分である。
私は令和6年度能登半島地震で、2次避難として約2ヶ月間、金沢でのホテル暮らしを余儀なくされた。金沢での生活の中で金沢にいる人々は、朝早くから、日付が変わるような時間まで働いている人が多かった。また、私自身大学受験を控え、時間に追われる毎日で、目まぐるしさを覚えた。奥能登では見えていた星空や時間がゆったりと流れているような穏やかな雰囲気さえひとつもなかった。奥能登がとても恋しく感じた。そんな時、私は「何もないからこそ、そこがいい。」と言った高校の先生の話を思い出した。言われた時は、全くと言っていいほど何がいいか理解出来ていなかったが、金沢で過ごしてみて、奥能登の素晴らしさに改めて気づいた。
私は奥能登にたくさんのグランピング施設を用意し、奥能登の住民生活を体験してもらうという旅行制度があると効果的だと考えられる。そうすることによって、訪れた人が奥能登の自然や空気に触れることで第二の故郷として奥能登を知ってもらうことが期待できる。さらに、この活動を通して、移民の増加や過疎化の改善をめざすことも可能ではないだろうか。たとえば、星空が見えるグランピング施設であったり、伝統工芸を生かした部屋であったり、自然と工芸品、街の人の暖かさが体感できる施設であったり、奥能登の良さを知れ、またリフレッシュできるそうゆう場所の提供をするのが良いのではないかと考える。
近日、ニュースでは、「奥能登に戻りたい」といった声がよく放送されている。金沢に避難している人にも同じ考えの人が多数いる。やはり、奥能登にはたくさんの魅力がある。「復興」と聞くと、なにか新しい大きな事業を起こす印象があるが、私は、奥能登の良さを活用して大好きな故郷を残していく活動を行っていくべきだと考える。以上のことから、100年後の奥能登は、安らぎを与えられる場所であってほしいと考える。
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