能登の未来
FUTURE
投稿者
髙橋愛結
奥能登は高齢化が進んでおり、珠洲市は高齢化率が50%を超えている。そして、若者は奥能登を離れ、自立して生活している。しかし、祭りや奥能登芸術祭などのイベントがあると帰省し、地元を楽しんでいる。つまり、私は珠洲市の魅力は自然や文化であると考える。
自然や文化は人の手があると継承は可能であると考えられる。草むしりや浜でのゴミ拾いは自然の継承、祭りやイベントの開催は文化の継承になる。
私は100年後の珠洲市の姿として、自然の姿・文化が変わらず継続していてほしいと思っている。私は現在学生なので珠洲市にはいないが、卒業後は珠洲市で勤務することを望んでいる。珠洲市は私にとって宝と言ってもいいほど素晴らしい場所であると思っているからだ。私は珠洲市の自然・文化が好きであり、帰省すると海や山を眺めて自然を楽しんだり、祭りでテンションを上げたりしている。震災は自然によるものだが、私は自然を恨んでいない。津波により車が廃車となり、屋内にも塩水が入った。ショックは大きかったものの、恨むほどではない。人間は自然に勝つことができないと思っているからである。今でも珠洲市の自然を堪能したいと思うことが多い。珠洲市の美しい自然が100年後も存在するといいなと思う。
令和6年1月1日の震災により、壊滅的被害を受けた町が多く、特に認知されているのは宝立町の姿だと思う。令和5年5月5日の地震で少し崩れた見附島が今回の震災で元の姿が分からなくなるほど崩れてしまった。私の記憶の中にある見附島がもう見られないと考えると苦しい。見附島の姿が変わっても、『見附島』という名前に変わりはないため、現在の姿を保っていてほしいなと思う。
奥能登で大事なのは祭りである。祭りは奥能登で一番と言っていいほどの魅力である。今回の震災で祭りの実行は困難ではあるが、今後行われることがなくなることはないと私は思う。祭りは地域の人にとっての楽しみであり、地域住民と関われる大事な行事である。新型コロナウイルス感染症流行による中止や天候による中止、声出し制限などにより、住民は満足してできなかったと思う。昨年新型コロナウイルス感染症が5類感染症に移行したが、流行が収まることなく満足した祭りが行えなかった人もいると思う。太鼓をたたく、笛を吹く、声を出す、これが日常の中から消えることは文化が消えると同義であると私は考える。今後被災地の環境が整った際に祭りが再開されるといいなと思っている。祭りができるということは文化が継続されるということになる。これから先珠洲市がどんな姿で再出発をするのかわからないが、祭りは続けてほしいと切に願う。またどこかで笛の美しい音と太鼓の音と「ヤッサ―ヤッサ―」という声を聞くことができたらいいなと思う。