能登の未来
FUTURE
投稿者
山岸日和
私達家族は訪問した親戚宅で被災し、孤立集落となった。そこで活動した先輩看護師と母の姿を見て、緊急時も看護師は身体的にも精神的にも誰かの支えになれると感じた。私も誰かの支えになれる看護師を目指し、目前の国家試験合格に向け全力を注いでいる。今回の震災をきっかけに本人がそれを望むかどうかに関わらず、能登半島から離れていった人は少なくない。実際に私達家族もバラバラの生活となっている。孤立集落では情報も得られず、親族の安否や自宅の状態も確認できず1週間過ごした。東日本大震災を経験した元校長先生の陣頭指揮の元、「明るく、元気に、みんなで過ごす」をスローガンに避難者全員で協力し過ごした。看護師の母は全世帯の安否確認と内服確認、既往歴調査を行い、私は母の先輩看護師宅で高齢者の食事や口腔ケア、歌や体操を交えたレクリエーションを行った。孤立集落から高齢者の脱出を見届け後、家族で自宅に戻った。自宅周囲は倒壊した家屋が多く、緊急車両とヘリコプターが行き交い戦場と化していた。仕事や学校、当たり前の日常生活が奪われ、復興に一体どれだけの時間を要するのか見当もつかない。しかし、日常を失って改めて輪島がかけがえのない場所であると気が付き、生まれ育った輪島のために何か力になろうと決意した。孤立時「地元から離れたくない」避難先を決める際「友達や家族と離れ離れになりたくない」と願う人を目にした。きっと多くの人々にとって能登半島はずっと暮らしたい、帰ってきたいと思える、他に代えがたい慣れ親しんだ場所なのだろう。愛する地元で暮らしたいと願う人が暮らせない現状ほど心苦しいものはない。私は百年後、技術革新や経済発展により社会がどのように変化するか分からない。しかし百年後も能登半島を愛し、暮らし続けたいと思う人が絶えることなく、またその人々が願い通り暮らし続けることができる場所であって欲しい。現在奥能登は産科医不足により分娩施設が少なく、そこで生活する妊婦は長時間の移動を要し出産していると聞いた。妊婦にも胎児にも負担・リスクが大きく、安心して出産・育児ができる環境とは言い難い。今後住み続けられる街であるために、子育て世代も住みやすい場所にしなくてはならない。また、能登半島には伝統文化が沢山ある。震災でそれらの衰退が危機となっている。輪島塗作家の祖父も自宅を失い伝統を守る為苦慮している。その姿を見て伝統文化の喪失、能登半島の魅力を失うことは何があっても防ぎたい。震災により日本中から注目を集めている今、能登の魅力や文化をより多くの人に発信するべきである。私が復興のために直接行えることは今はまだ思いつかないが、被災時の経験を元に災害対策に必要であった事、不足していた事を整理し改善したい。そして私を含む多くの人々が目の前のことに真剣に取り組む。それが100年後の能登半島の未来を支える力になると私は信じたい。