能登の未来

FUTURE

食文化と祭り文化の火を失わないためにできること

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投稿者

八木真

 私が生まれ育った珠洲市は外浦、内浦どちらもそれぞれ四季折々の海の幸に恵まれている。海藻、魚、サザエ、アワビなど一年を通して市民の食卓を楽しませてくれる。そして、最も自慢できるのは古くから伝承される揚げ浜式塩田でとれる粗塩である。そして、海産物のみならず、米や山菜、野菜や果物。食文化全てが自然の宝庫で溢れている。1000年に1度の災害で今は窮地に立たされている漁業を復活させるために、先ずは漁港を復活させたい。漁業に力をいれて、食文化を継続させるために漁港を復活させる。
 珠洲が大好きな理由の大部分を占めるものに祭りがある。能登の祭りは疫病退散または大漁、豊作を願って始まったとされるものがほとんどで、祭り当時には地元を離れた人たちが一斉に帰省し珠洲市が1年で1番賑わう日でもある。その時に「あぁやっぱり珠洲が世界一や」と感じるあの瞬間がたまらなく大好きで毎年の楽しみだった。しかしここ最近はコロナの影響もあって祭りが出来なかったが、ようやく去年から本格的に祭りができそうだなと思っていた矢先こんなことになって悔しくて堪らない。これから復旧が進んで人が普通に生活できるようになって祭りをしようかという話になった時に果たしてどれだけの人が集まるのか、そもそも祭りができるのかという不安もある。それでも珠洲市に1番人が集まるのは祭りの日です。これから珠洲市が復興していくにあたって祭りというのは絶対必要なものだ。僕は町でも「祭りバカ」と言われることで有名で、今は無理だが、もう少し落ち着いたら祭礼委員会の方に「祭りをしよう」と声を上げたいと思う。もし祭礼委員会が祭りをすると言ったその年には、僕はありとあらゆる知り合いに声をかけて珠洲を離れた人や珠洲への気持ちを忘れた人も祭りを一緒にすれば「やっぱり珠洲はいいところやな」と熱い気持ちを思い出すと思う。人の心を動かすことができる祭りを開催して人を集めることは珠洲市の復興に間違いなく意味のあることだ。
 100年後の珠洲は、東京や金沢のような都会になってほしいわけじゃない。田んぼをしているおじいちゃんおばあちゃんや、学校に行く子供、祭りを楽しむ若者が見れる震災前のあの穏やかな珠洲市に戻っていればそれでいい。そのためにぼくはできることならなんでも行動する。

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