能登の未来
FUTURE
投稿者
間口万次郎
私が望む100年後の未来の能登は、今ある数々の伝統文化が「永遠の伝統」として後継されていることだ。
能登半島には輪島塗や珠洲焼をはじめとする伝統工芸品、そしてキリコなどの伝統文化が現在にも後継されてきた。その中で私は珠洲市の「揚げ浜式」製塩にスポットを当てた。揚げ浜式は能登の伝統的塩作りである。海面より高い場所に造成した塩田に海水を汲み上げて塩を作る揚製塩技術だ。この伝統の歴史は長く、400年以上前からのものである。 そんな揚げ浜式を伝統として残していきたいと強く思ったきっかけは、父の一言であった。「今年のはじめから魚だけでなく、塩までも打撃を受けるとはなぁ、困ったもんや。」父は寿司職人である。今年の元旦に発生した能登半島大地震により漁業はもちろん、揚げ浜式製塩の職人にも大きな被害となった。それにより、和食には必須とも言える魚や塩が影響を受けたことにより、父は地元の人々が心配と話していた。地元の製塩では地震で設備が壊れたほか、海底が隆起して広がったことにより、ホースの長さが足りず海水を汲み上げることができなくなったそうだ。現在は復旧が進み、建物は修繕され塩作りを再開することができた。しかし、揚げ浜式製塩には大きな重要な問題が残っている。それは100年後には残されているか、伝統が後継されているかということだ。今の能登半島全体が過疎化し、製塩の後継者があまりいないのである。製塩会社の社長、山岸順一さんは9人の従業員はいるものの、今地震の影響もあり、みな市外へ避難し仕事に戻れていないという。何百年もの歴史を繋いできた揚げ浜式をこれから何十年、いや何百年後継するのにたった10人でできるだろうか。 私が計画する案として一つはまず揚げ浜式を「知る」ということだ。私もこのような揚げ浜式の現状を知ってはいなかった。県内だけでなく、国内の人々に一人でも多く知ってもうことからが大切だと思う。2015年NHK連続テレビ小説「まれ」では、能登の塩職人が出演した。それにより、揚げ浜式の知名は大きくなったが、あれから約10年たった今これから、この伝統をアピールしてくべきだ。そこで、少し小さなことではあるが、和食屋や寿司屋の店内に製塩ホームページをリンクさせたQRコードなどとともにポスター掲示が有効だと考える。珠洲市の塩は全国多くの店が使用している。この揚げ浜式を訪れた客に認識してもらいたい。他にも、伝統を題材にした本の制作や後継者育成を目的とするインターシップなどなど考えられる取り組みはあると思うが、とにかく知るそしてつなげていくことを重視した計画を通して、未来の能登の永遠の伝統、揚げ浜式が残っている。これが私の考える100年後の能登の姿です。