能登の未来
FUTURE
投稿者
里山暮詩
Ⅰ被災者救済について思うこと
この考えは、この国に緊急非常事態庁(仮称 Japan Emergency Management Agency:JEMA)が設立される事を前提としている。JEMAは米国FEMAと原則的に同様な機能を持つと考えて良い。災害時に復旧支援指揮系統がJEMAに一元化されリソースが効率的に運用されることで、結果としてはより多くの被災者救済のパワーを生み出すことに成るからである。
ボランティア元年と言われた1995年1月17日阪神・淡路大震災時に経験したて来た、縦割り行政の弊害で非効率な復旧支援の問題点やボランティアのパワーを効果的に運用するために、日本版FEMAの設立も多くの関係者から指摘されたが、机上の議論の一つとして忘れ去られてしまい、大災害の教訓も実行力を持った災害支援体制の施策に生かされることはなかった。
2011年3月11日東日本大震災は複合的な過酷災害・事故であった。マグニチュード9.0巨大地震40メートル津波の自然災害に加えて人為的な過失事故である福島原発事故は被災者が最も過酷な状況に遭遇した災害であった。わたし達は、この過酷災害から学ぶべきことが沢山あり、筆者は2024年1月1日の能登半島地震で現地体験し、改めて未だにその経験が生かされていない事を目の当たりにした。
相変わらずこの国の被災者は、有事発生直後から近所の避難先である公民館や体育館の床の上で寝起きし、時にはライフラインからも断絶された環境に留め置かれる。この国の人権に対する基本姿勢は非民主的であり、あたかも難民のように暮らすことを余儀なくされていることが実情である。多発する大地震、巨大化する台風や高雨量が引き起こす緊急避難事態に対して、被災者の救済を最優先する事が必須なのに、対策とか備えとかの”国としての心得”が無いのは不思議なことではないだろうか。
わたし達は謙虚に被災者救済の方法を研究しなければならず、過去の過酷な災害から学ばなければならない。特筆すべき事柄として福島原発事故と津波との被災者を救済したケースを調査検証することではないかと考える。津波も原発事故でも被災者は着の身着の儘で離れた場所に避難した。その貴重な体験から救済方法を考える事が急務であり、以下にその方法について述べる。
過酷災害被災者救済に備えるために、JEMAは常に日本列島各地に全体で数万人規模の収容力を持つ生活施設を備えなければならない。10万人を収容することが出来る空き家は、1軒に5人収容できるとして2万戸必要であり、日本列島の空き家の凡そ1千万戸として現実的に不可能ではない。一例を上げれば、バブル期に乱立したリゾートマンションなどを地域ごと買い上げ被災者救済住宅にすれば良く平時には、リゾートエリアの特質を活かして企業の研修施設やサテライトリモートワークセンターを運営すれば対費用効果も改善する。
以上のような施策は、仮設住宅のような数年で取り壊さなければならないような無駄を省くことが出来る、しかしながら被災地現場近くには被災者の自立復興を支援できるような居住施設も必要であるが、これらは大型トレーラーハウスで賄える。余談ながらキャンパーの様なモバイルハウスは平常時は人々が利用出来るようなレンタルシステムにするとかで、市場に任せることで解決する。
以上述べてきたように、災害被災者はお年寄りで活動できない人々と復興勢力に成り得る人々に分けて対処しなければならず、前者は被災地から離れる事により快適な避難生活を営むことが出来る、後者の自立復興勢力と成り得る人々は被災地周辺の仮設住宅に留まり財産の保全や復興に従事すると同時に指摘するまでもなく、後述する能登のグランドデザイナーの一員として働かなければならない。
Ⅱ近未来の能登半島グランドデザイン
能登半島センサスは高齢化と人口減少とのマイナススパイラルに置かれていて、この度はそのエリアが壊滅的な地震に見舞われた。この地域の復興には震災のマイナスをプラスに変えるような大胆な発想の転換が必要とされる。プラスのスパイラルを引き興す為には、例えば、若い世代が集団的に移住・流入が生まれるような”魅力のある能登半島”をデザインしなければならない。
「能登乃國百年之計」のグランドデザインは、基本的に能登半島こそがナショナルトラストとしてサンクチュアリを実現する環境の保全と地域文化・産業の継続を実現することにではないかと考える。ここでは災害復興の視線から能登半島未来を描くのではなく、あらかじめ理想とする能登半島グランドデザインを策定し、それを実現する過程で必要に応じ被災地のインフラのリデモデルを行うこととする。
誤解を恐れずに述べるなら、この度の地震により被災することが無かったとしても、早晩能登半島に突きつけられる問題は過疎化と高齢化更には後継者不在と耕作放棄地拡大などの社会活動習慣病とでも呼べるような問題ではなかったか?尤もこれらの問題は日本列島全体の近未来が招く構造的社会問題であり、それらのことを踏まえ「能登乃國百年之計」のグランドデザインを最優先して進め、日本列島リモデルの魁と成るような事業を起こさなければならない。
能登半島グランドデザインのシーズは社会問題化しているテーマの解決策を列挙することにより、その概要が見えてくる。例えば、過疎化と高齢化に対しては、若い世代が移住してきて新しい社会基盤を作ることが出来るような魅力ある仕組みが必要である。例えば一つには無農薬農業を目指す人々に対し耕作放棄地や里山などを無償で提供して、能登半島全体を有機栽培サンクチュアリにすることが可能なら能登半島の農業生産物は付加価値が高く高収益が実現する。
同様に水産業に関してもこの地はもとより工業排水は比較的少なく、更に農薬などの化学物質の海への流出がなければ能登森林のミネラルと有機物が豊富な真水がプランクトンの豊富な海水を造り出すので、海水汲み上げ無給餌養殖などの高付加価値漁業も実現する。能登半島海岸線は漁船が不要な陸域水産物養殖に適していて、船舶と燃料が不要であり水槽と海水汲み上げポンプがあれば、利益率の大きい水産業が発展すると考えられる。
こと改めて能登半島の歴史から読み解くと、江戸以前は北陸地方が大陸の文化文明のフロントラインであることが理解できる。輪島塗はもとより珠洲焼、更には真脇縄文遺跡などの足跡を深堀りすることで見出だす事ができるであろう芸術の記憶が能登半島アーティザンを興す事業も必要であり、若い世代の流入を促すさらなる仕組みと成るだろう。
以上のようにグランドデザインされた能登の里山里海で暮らすことは言い換えれば、普遍的な人類居住環境サバイバルモデルの実現であり、成長の限界を経験してきた産業革命のその先にある、人間の知恵が生み出す豊かさではないだろうか。
Ⅲ新たなライフスタイルへの旅立ち
指摘するまでもなく、「能登乃國百年之計」は若い世代の移住だけでは解決しない。社会はすべての世代が造り出すものであり能登半島で高齢を迎えられた人々に対しても、筆者のように老後を能登半島で暮らそうと云うお仲間達も、あらゆる年齢の人々が暮らしてこそこの壮大な企みは生きてくる。
はじめにヒトありきだ。能登のグランドデザインを推進する人々は最初に地元被災者の人々とボランティアの人々だが、何れは若い世代の移住者のマンパワーが必要になり、この人々を全国の地方自治体が動員している”地域起こし協力隊”の様な仕組みの上に土地を無償で提供するなどの魅力のあるプログラムで移住者を集めたい。
ここ能登半島にはナショナルトラストの基本的なルールにより、高層ビルは存在し得ない、大型のショッピングモールも有り得ない、排ガスを人々に呼吸させるような大量の通行車両もない、プラスチック製品の過剰包装などが環境汚染物質もあまりない、加えてこの様な厳しいルールも実態的には無く、かと言ってアーミッシュの人々のように宗教的地域共同体のような縛りもない。
日暮れになれば半島の随所に小さい居酒屋があり人々は集う。その場所は早朝から市場として機能し、一角には保育所とかコミセンもある。ケータイのSNSばかりがコミュニケーションではないのだ。戦後生まれの筆者は知るすべもないが空気としては大正リベラルの古き良き時代の令和バージョンと言えるかもしれない。
この稿には終わりがないようであり、このあたりで筆を置くことにします。