能登の未来
FUTURE
投稿者
森山明能
100年後の七尾市で青柏祭をやっていてほしい。能登で言う「祭り」は、地域で共有する感動体験。感動体験だということが重要で、神事のあるどうこう以上に、複数人で同じ時間のなかで情緒的に感動を共有した体験だと思っている。そうすることで、コミュニティへの参加感が感じられているんだと思う。祭りに一緒に参加しているというのは大事だと思うんだよな。誰かと一緒に感動体験をする「祭り」が自己のアイデンティティの確立に結び付くから、「祭り」を大切にしたくなる。
各集落がどうなっていくかという話と、各集落の祭りがどうなっていくかという話はニアリーイコールだと思う。各集落が、各コミュニティがどう運営されていくか、というのが100年後の能登がどうなっているかという話と関係すると思う。今後、無くなってしまう祭りもあるだろうし、残る祭りもあるんだろうし。どんな祭りを残すかは、どんなコミュニティを残していくかというのと同じような話で、それは能登っぽい話だなと思う。
ある程度は分散している集落を残していくのかが能登にとって大切だろうな。集約型になりすぎないというのが能登において重要。自律分散と都市機能の維持、自律分散のなかに集約機能である都市もある。それをちゃんと主張して復興計画について話し合っていかないと集落ごとに存在している人の手の入った里山里海は無くなってしまう。
能登に住む人や関わる人が「自律分散している集落があるかたちが能登らしいよね」という共通認識を持つことが大事だなと思っていて。里山里海はこうやって繋がっていて、能登で暮らすってこういうことだよね、ということをシンボリックに説明できるのが能登の場合は「祭り」なんじゃないかなと思う。
100年後の能登という話でいうと、地政学的に能登ってどんな場所なんだろうと考えると面白そうだろうなと。日本海という資源を活用するためには最高の場所だと思う。能登は日本海のど真ん中に位置しているから、海洋資源の研究結果を利活用するとか、半島で突き出ているので洋上発電がやりやすいかもしれない。
能登の復興をどうしていくかについては、小さなコミュニティのなかで強いリーダーシップが発揮されて、それが能登のいろんな場所で乱立して話し合いが行われるのが良いのかもしれない。まちの未来について話し合いをする良い機会だと思う。「何かやろう!」という話し合いができる祭り・集落が残っていくのかもしれない。そこには小さなコミュニティのなかのリーダーシップがあるはず。そういうリーダーシップが分散してあることが100年後の能登を形成しているんじゃないかと思う。