能登の未来
FUTURE
投稿者
大原学
■能登の祭りの魅力
元々ただの文化祭や体育祭などの祭り好きなだけだった自分が、参加した地域の祭りをきっかけに土着のコミュニティに入っていく感覚が好きで祭りにのめり込むようになった。
初めて能登に行ったのは2014年。大学時代に出会った友人が当時住んでいた珠洲市の大谷地区。そこから能登全域に足を運ぶようになり、ここ5年くらいは能登を巡る機会が増えた。全国のいろんな祭に参加させてもらって比較しても、能登の人からは、”祭りが好き”という感情がすごく伝わってくる。自分も担ぎ手として参加した能登町宇出津地区でのあばれ祭りでは、老若男女が参加し、独特なリズムが耳に残ったことが印象的で、現地の子どもが興味を持つきっかけになると感じた。次に、能登の祭はやたらでかい。地域によって形態は違うが圧倒的非日常性を感じる。非日常ではあるが、生活のリズムのなかに特別で神聖な祭りが刻まれており、自然や神様を身近に感じて、イベント化されずに、信仰がしっかり残ってている。
中沢新一さんの著書『アースダイバー 神社編』では、縄文から弥生に時代が移るなかで、大陸からきた稲作文化に最後まで抵抗した地域の1つに能登があると言われている。縄文文化が残っていて、狩猟民族らしさが伝わってくるのも能登の良さ。
■祭りの存在意義
これからの世代が作っていく祭りは【祭りでしか作れない人間関係資本を作っていくこと】が大事。これまでは地域の絆を強くするためのものだったが、今後人が減り続けるなかで、祭りに行けば同胞意識を持った仲間と繋がれる場にもなっていくと、祭りは継続していくのでは。能登は祭りで地元に帰るという習慣があるからこそ、祭り=人が集まる時間を共有する大事なハブとなる機能として在り続けてほしい。祭りという時間を超えて、祭りで出会った人と人が次の何かに繋がっていくこともたくさん起きて、知り合いができるきっかけとしても祭りが機能していくことを想像している。
石川県では学生がキリコの担ぎ手として地域に入るプログラムを継続していたが、令和6年度は全て中止と聞いた。マツリズムがこれまで行った祭参加ツアーも行うと半分はリピーターになってくれるからこそ、学生や若い人が能登の祭りに参加する機会はあり続けて欲しい。
コロナ禍を経て、祭がなくても生きていける数年も経験した。今年は開催できない地区ももちろんあるとは思うが、キリコ祭りのスタートはやはりあばれ祭りだからこそ、火がともる大きな松明が、宇出津地区だけでなく能登の復興の象徴として届けていく役割となることを願うし、それをみんなで一緒に作ることで気持ちの部分で景気づけになるのではと思う。
震災後奥能登の地域をいくつか回ってきたが、まだ祭りをどうするかという決定が出ていない地域の方が多い。それぞれの祭りがいつ再開してもいいように、見るひとも、担ぐひとも、ヨバレの手伝いをするひとも”やりますよ!”と動けるような人材の確保と、さまざまな形で応援し合えるような信頼関係を作っていきたい。