能登の未来

FUTURE

私が能登のこと語っていいか? いいことに決めました自分で

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投稿者

坂口直明

 能登町に叔母さんが嫁いでいるだけなのに、ここに投稿すべきかは悩みました。珠洲寄合のオンラインでの、皆さんの明るい顔を見て、おっさんが出てもいいかなと。。神戸在住の方も、語っておられましたね。勝手に大丈夫と理解。岩城さんごめんなさい。
 能登の100年後は、すみません見えません。でも今奈良県在住の「離れても忘れない阪神淡路大震災」コミュニテイの管理人として。30年間震度7と向き合ってきましたので。神戸より、はるかに復活は困難な条件が揃ってます。叔母さんは、能登町に戻れるのだろうか。
 能登町の45年前は鮮明に語れます。広域農道と有料道路をつないで、金沢から随分かかった記憶あります。大学生でした。1980年春、はじめて叔母の嫁ぎ先松波駅近くに行きました。あれから44年。2023年9月末。コロナ渦で訪問控えて欲しい叔母から「解禁例」が出ました。まさか震災直前の能登町を見れるとは思いませんでした。のと里山海道という、無料の道路が整備されていることも知らずに。9月末に、2023年のGWの地震の話もしました。「直明の神戸ほどでないけど物置のシャッターも壊れたし。雨漏りも応急処置」。でもまさか翌1月に叔母さんの夫が、珠洲市の総合病院から、人工透析のために自衛隊ヘリで緊急搬送されるとは思いませんでした。震災のことはこれで打ち止めです。これからのこと書きましょう。
 30年前の震度7を経験して、自分の家族を必死で守ったおとうさんとして。今回GWに能登町に応援に行ったものとして。次の5つを、災害への対応のヒントとして、お伝えしておこうと思います。どんな「地域防災計画」よりも「自主防災組織の規則」よりも、きっと一人でも多くの人を、有事のときに救えると思います。災害発生のときに、一人でも多くの命を救えることが、能登の未来をつくる若い人々を失わないこと。それが、最終100年後の能登をつくれるのではと。こじつけでした。

1.寝室には「寝具」「非常持ち出し貴重品」以外を置かない
2.「そこにあるものでやる」「そこにいる人でやる」
  「人」も「もの」もないときは自分で集める努力をする
3.誰に対しても「感謝の気持ち」を持ち続ける
4.すべてがだめなときにも、絶対に最後まであきらめない
5.自分の「好き」「得意」を使って、自分そしてすべての人の「命」守る

 近々能登には直接行けないかもしれませんが。今年から「離れても忘れない能登半島地震」神戸同様にすすめたいです。来年1月17日。早朝神戸から。必ず能登にエールを送るお約束、しておきたいと思います。どんなときにもあきらめないで、助け合いましょう!

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