能登の未来
FUTURE
投稿者
岡垣未来
出身は横浜です。いまから14年前に輪島に移ってきました。家が輪島塗を販売している会社です。最初、輪島に来た時には「あーすごいところに来てしまったな」と空港からの道のりで思いました。上の子どもが幼稚園に入る時に来てしまったので、ここで子育てできるかなと不安だったんですけど、みなさんあたたかく迎えてくださって。まずは、知り合いは同じ町内のおじちゃんやおばちゃんから、お義母さんの友達から、どんどん輪が広がっていって、子どもが幼稚園に上がって、お母さん友達ともたくさん知り合いましたし。寂しい思いは、最初は多少あったんですけど、みなさんの優しさに救われてきました。だから、私はいまでも輪島に残っています。いままで、みなさんからたくさんのあたたかい気持ちをもらったので。今度は、私が、生き延びることができたからこそ、何か自分が動けることがあったらしてみたい、やってみたいという気持ちで活動しています。私は、「輪島セントラルキッチン」というところで被災直後からずっと炊き出しをしてきました。後は、「みんなのこども部屋」というところで子どもの見守りをしてきました。たくさんの子どもと出会って元気をもらってきました。だからこそ、私はこの能登、能登と一言で言っても広いので、区域があったんですけど、それをとっぱらって、子どもと一緒に考えて前に進めるようにしていきたいと思います。「今日も一日楽しかったです」という時間を過ごしてもらえるように、私は子ども達にそう思ってもらえるように、そんな出来事を用意していきたいと思います。
10年後の奥能登は、外を歩いても、安全というか、とにかく子ども達とたくさんすれ違う、おじいちゃんやおばあちゃんが杖を突きながらでも歩いている。輪島に来て気づいたのは、「さよなら」の代わりに「ありがとう」と言って終わるんです。10年後の奥能登も「ありがとう」という言葉がたくさん行き交っているまちであると信じています。